COLUMN天つ神手帖

第二話「呪いの発生源」(前編)

川口明日香さん(仮名) 35歳 東京都渋谷区在住 会社員

死んでいるストーカー

私は以前、予約制の対面鑑定業務を個人で行っていたのですが、霊視による運勢鑑定という看板に惹かれてなのか、普通の人生相談や恋愛相談の他に、霊的な事象が深く絡んだ相談事を持ち込まれることがしばしばありました。ですからスタッフの方から「恋愛と結婚の問題に心霊現象が絡んだ実例を書いてほしい」と依頼された時も、どうしたものかと頭を抱えました。もちろん話のネタがないということではなく、その逆なのです。

当時、数多くの当該事例を抱えていたものですから、一体そのうちのどれを披露したら良いか、また一般に公開するからには相談者本人の了解も取らねばならず、その辺りはどのようにクリアしようかなどと悩んでいるうちに、いっそ近しい知り合いのことを書けば良いのでは!と思いつきました。というわけで、これから書かせていただくのは、私の弟が勤めている職場にいるある女性のお話です。

彼女の名前は、仮に川口明日香さんとさせていただきます。都内の一流私大を卒業後、大手の市場調査会社に就職。最初は出向という形で弟の会社へやって来たそうなのですが、高い能力を買われて、そのまま出向先に移籍したという経歴の持ち主です。頭脳明晰で機転の利く女性で以前、その同僚だった私の弟は、互いの担当部署が変わった今でも何かにつけて彼女の助けを借りているそうです。

性格はややきつめですが(ごめんなさい)、いつも明るく、笑顔を絶やさない素敵な方で、彼女とは数ヶ月に1度ほどの頻度で顔を合わせ、一緒に食事をしたり、相談事に乗ってあげたりといったお付き合いをしています。そんな明日香さんですが2年前に弟のツテで初めて私のもとにやって来た時には、現在の状態からは想像できないほどやつれ果てていました。

「身の回りで、理屈では考えられない異常なことが起きているのです。何とかならないものでしょうか」。待ち合わせた喫茶店で顔を合わせるなり、明日香さんはそう言って椅子にへたり込みました。その時、私は無意識に彼女を霊視していたのですが、そのスーツ姿の左肩の辺りにかなり強烈な念を放つ霊体の顔が憑依しているのが見えました。年の頃は三十代の半ばから四十くらい。

痩せぎすで眼光が鋭く、目鼻立ち自体は整ってはいるものの、見るからに陰惨な雰囲気を漂わせた男の顔でした。それが白目の多い不気味な眼差しで対面から私を睨みつけてきたのです。ほぼ同時にその思念の叫びが、頭の中へ流れ込みました。

『余計なことをするな。この女は俺のものだ!』

男の霊はそう言い放つと、いっそう禍々しい眼差しを浮かべながら、噛みつかんばかりの大口を開けてきました。まるで人狼の如き、恐ろしい形相でした。(元は人霊だが、すでに地獄の悪霊となっている存在か…)咄嗟に数珠を取り出し、悪鬼退散の経文を唱えました。当の明日香さんはしばらく目を丸くしてこちらの仕草を見つめていましたが、一通りの浄化が済んだ頃合いに、「やっぱり、私に何か取り憑いていたんですね!今、祓うことができたのですか?」と身を乗り出してきました。

私は「残念ながら……」と頭を横に振りました。「かなりタチが悪くて強いモノなので、一度の浄霊ではとても祓えません。辛うじて一時的に抑え込んだだけです。それにしてもあなた、いったい、どこでこんな途方もないモノを拾ってきたのですか?」。明日香さんは再びうなだれると、こちらの問い掛けに対してポツポツと事情を話し始めました。

事の発端は、前年の夏。夏期休暇を利用して海外を旅行していた彼女は、帰国後に休みの残り数日を茨城の実家で過ごすことにしました。その実家には父親と義理の母、そして歳の離れた腹違いの弟の3人が住んでおり、皆、諸手を挙げて、娘の久しぶりの里帰りを歓迎してくれたそうです。やがて旅行のお土産を家族に配り、テーブルにご馳走が溢れた夕食を終え、さてそろそろ寝ようかとなった頃、高校生の弟さんが急に外出の支度を始めているのが目に入りました。明日香さんが「こんな時間にどこへ行くの?」と訊ねたところ、「本屋でマンガを買ってくる」と。家から自転車で20分ほど走ったところにビデオレンタルと書籍販売を兼ねた深夜営業の大型店舗があり、これからそこへ行くと告げたそうです。

居間の時計を見るとすでに午前0時近く。いくら高校生の男の子でもちょっと危ないのでは?と思ったのですが本来、弟さんを叱るべき両親はすでに寝室へ入っており、代わりに自分が注意しても口うるさい姉だと悪態を吐かれるのがオチなので、「車に気をつけなさい」とだけ念押しして大人しく送り出しました。そしてその後すぐ、明日香さんも就寝。長旅で身体は疲れていたものの軽い時差ボケのせいでなかなか寝付くことができず、明け方近くにようやく入眠したのですが、悪夢にうなされてすぐに目を覚ましました。

それは大きな満月に照らされた夜の海辺を、何か得体の知れない者に追いかけられている夢でした。追いかけてきた相手は、人の形をしていながらも全身が影のように真っ黒で、しかも半ば霧状にふわふわと浮いており、それが月明かりに照らされると目鼻のない顔の部分に大きく開いた真っ赤な口だけが浮かび上がるという不気味な形姿。彼女を追いかけながら低く唸るような声で何か言葉を叫んでいたが、具体的に何を言っていたのかは全く分からない、とそんな夢でした。

そしていましもその影に追いつかれ、肩先に手を掛けられようかという瞬間に目が覚めたのです。その海辺は実際にはまるで見覚えのない場所ながら、夢の中ではよく見知っていたという記憶もあり、起きてからしばらく「どこの海辺だろうか」と考えていたそうです。ふと、部屋の時計を見ると4時半過ぎ。窓の外はすでに白んでおり、しかもただでさえ寝苦しい熱帯夜であったため、再び寝ることができず階下の居間へ降りました。するとそこには尋常ではない様子の弟の姿があったのです。

深夜に書店へ出掛けた時の服装のまま、床にうつぶせに倒れていたそうです。その首筋の辺りにうっすらと血が滲んでいるのを目にした明日香さんは、慌てて弟さんを助け起こしました。彼は昏倒して意識を失っていたようでしたが、身体を揺さぶってみるとようやく目を覚まし、「姉ちゃん!」と叫んでしがみついてきたのだと……。「本屋からの帰り道に幽霊に追いかけられて、すんでのところで振り切って何とか家に戻って、そこで意識を失ったって……弟はそんな風に言っていました」。

翌朝、起き出してきたご両親の前で弟さんはあらためて事の次第を語り、警察に届けるかどうかを話し合ったのですが、「幽霊に襲われたなんて馬鹿なこと言えるか」という父親の一言で、話は立ち消えました。弟さんの首筋に残っていた軽い擦り傷も、何かを幽霊と見間違えて、慌てて自転車が転倒した時に怪我をしただけだ、ということで片付けられ、以後、家族の話題に上ることはありませんでした。「でも今、父はその時に何も対策を講じなかったことをひどく悔やんでいます。だって……」。

その後、弟さんだけでなく、義理のお母さんや強く否定していたお父さん本人までもが謎の幽霊を目撃する羽目に陥ったからです。ちょうどその日を境に昼夜の区別なく、お父さんは通勤の途中や会社の社内で、弟さんは登下校中や校内で、さらにお母さんも買い物の行き帰りなどの折に度々、その霊に遭遇するようになりました。遠目には人の姿をした、影のような真っ黒い存在。顔に目と鼻はなく、真っ赤な口だけが裂けている……つまり、明日香さんが夢に見た霊と全く同じ姿だったわけです。ふと気づくといつの間にかそれがすぐ背後におり、家に帰るまで後をつけてくる。こちらが走って逃げればまた3人の家族以外には霊の存在は見えないらしく、息を切らして路上を逃げるお父さんやお母さんの様子を見て近所の人が訝しみ、「どうかしたのですか?」と声を掛けられることも度々あったそうです。

「それが見えるのは、ご家族の3人だけ?あなた自身は?」「もちろん、私もです。実家から戻って以来、住んでいるマンションの部屋に出るようになりました。やっぱり昼夜の区別はなくて、キッチン、リビング、寝室、それからトイレやお風呂、ベランダ前のカーテンの後ろと、部屋じゅうの至る所にのべつまくなし出てくるんです。何かされるというわけではなくて、驚いて声を上げるとすぐに消えてしまうのですが、あんな気持ち悪いモノに慣れることなんてできないし、とにかくもう私も実家の家族も精神的に限界なんです」。

話を聞き終えた後、私は腕を組んでしばらく考え込みました。霊現象の相談には慣れているものの、解せないことが何点かあったからです。第一に、私が彼女の背後に察知した悪霊と、実際に目撃されている霊の姿が違うということ。次に、家族は自宅の外でだけ霊で出会っているが、逆に彼女の場合は自室内にのみ霊が出没していること。最後に、実家への里帰りをきっかけに霊現象が起き始めたのは何故か、ということでした。そこで再度、明日香さんを詳しく霊視し、さらに過去透視や先祖霊視などさまざまな角度から検証した結果、ようやくひとつの結論に辿り着きました。私は座をただして、彼女に告げました。「早々にご実家へお伺いします。そこにこの問題の原因が存在しているはずです」。

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